環境を守る活動が実際にどれくらいのインパクトを与えているのか、気になることはないでしょうか。
本記事では、生物多様性保全の効果を定量的に評価し、企業や行政と連携してネイチャー・ポジティブ(生物多様性を2030年までに回復軌道に乗せるという国際的な大方針)を目指す、琉球大学教授/株式会社Think Nature代表の久保田康弘さんにお話をうかがいました。
久保田 康裕 さん
Yasuhiro Kubota
琉球大学理学部 教授
株式会社Think Nature 代表
目次
どの場所がどう「多様性豊か」なのかを “見える化” する
――さっそくですが、生物多様性ビッグデータとは何か、おうかがいしてもよろしいですか。
久保田さん:はい。生物多様性に関わる様々なデータを集約したものということなんですけれども、一番基本になるのは生き物の分布データですね。
生態学や分類学で生物の記録をするときに、標本にしても観察記録にしても、どこにいたかという場所情報を必ず取るんです。どんな種がどこに分布していたかという「生物分布情報」が、生物多様性の空間的な分布を理解するときの基本なんですね。
その分布情報に、種によってどういう機能特性を持っているか、どういう遺伝子を持っているかなどの情報を紐づけることで、データのスケールが広がっていくんです。
例えば、どの地域に種数が多いのか、多様性の豊かな場所がどこかということに、機能特性のデータを紐付けると、機能的多様性の豊かな場所はどこかということがわかります。また、遺伝子情報を紐付けると、遺伝的多様性が豊かな場所はどこかということを“見える化”できます。
つまり、生物の分布情報に機能や遺伝子の情報を紐付けることで、生物多様性の空間的なパターンを可視化してくれるのが、生物多様性ビッグデータになります。
日本には貴重な自然史情報があり、自然史愛好家がいる
――このビッグデータというのは、ひとつひとつ地道に集めたデータをまとめていかれているんですか。
久保田さん:そうですね。元になっているデータは、いろんな研究者の方が地道に収集された記載情報(*1)です。
私たちの研究チームでは、そういうデータを集めて電子化する作業を10年以上ぐらい前に始めたんですけれども、実際やってみてわかったのは、日本ってこんなに自然史情報がいっぱいあって、かつ、そういう地道な調査をやっている人たちがアマチュアの方も含めてこんなにたくさんいるんだということです。
すごくびっくりして感動したのは、日本っていろんな市町村史とか郷土史があるじゃないですか。何々町史とか村史というのがあって、そういう郷土史には必ずと言っていいほど生物目録が付いているんですよね。「ここの村にはこういう植物が分布しています」というような一覧が付いていて、たぶんそういう国って他にないと思うんですよね。
なので、そういうデータ自体、集めてきて集約すると、日本全体でどの地域にどういう生物がいるのかというチェックリストを作れちゃうんですね。これはびっくりしましたよね。
研究者だけじゃなくて、各地域に自然史愛好家の方たちがいて、地道に記録をまとめることをされていたわけです。個々の自然史愛好家とか地道に調査をやってきた研究者の方の歴史や、日本としての研究者の層の厚さが、“見える化”されたんです。
ただ、もうひとつわかったのは、そういう地道な活動が今、すごく衰退してきているということです。例えば、いろんな地域に植物同好会だとか昆虫同好会だとかがあって、昔は活発だったけれども、最近はそうでもなくなってきています。
やはりコツコツ地道にやる研究がなかなか評価されなくなっているし、自然史愛好家も、データを取ってまでやるというような、半分玄人のようなアマチュアの方が減っているのかなと。
でも、地道な記載情報をビッグデータにしてまとめると、結果として地域ごとの活動に日の目が当たって、「価値があるんだ」ということになって、コツコツやる自然史研究というものを下支えすることにもなるのかなと思って。そこにもビッグデータ化する価値はあるのかなと考えています。
*1:ここでは、どんな種がどこにいるかなどを記した情報のこと。
研究面と社会面、生物多様性ビッグデータの活用方法
――このビッグデータには、どのような活用方法があるのでしょうか。
久保田さん:大きく分けて、基礎研究という面での活用と、応用、社会的な面での活用があると思います。
生物多様性の起源や、多様性がどう維持されているかということは、生物学の一番大きなテーマと言っていいと思うんですよね。
あらゆる場所のあらゆる生物の情報をまとめたビッグデータがあれば、生物多様性がどのように起源してきて、どのように維持されているのかという、生物多様性の全貌を俯瞰する研究が進むんじゃないかと思っています。それが基礎研究の面でのビッグデータの利点ですね。
応用的な面で言いますと、ご存知のように最近は、政治的にも、経済、ビジネスのほうでも、生物多様性の保全は大きな課題になっているので、そういう部分で活用してもらえるということですね。
生物多様性が“見える化”されて、どこに豊かな生物多様性があるのか、保全上重要な場所はどこかということをデータに基づいて示せると、保全計画や、生物に配慮したビジネス、事業活動を考案しやすくなるので、そういう面でビッグデータの価値があると考えています。
行政、企業との連携でデータや解析技術を活用する
――今は、どのような企業や外部組織と連携されていますか。
久保田さん:最初は行政関係ですね。環境省ですとか、地方自治体ですとか。生物多様性や自然環境を保全するというところで、我々のデータや解析技術を使ってもらいました。
生物多様性の地域戦略を自治体で作る場合に、生物多様性を地図化した結果であるとか、どこにどういう希少種がいるのかという情報はとても重要なので、そういう情報を基にして地域の自然環境保全利用指針を作ってもらったり。
環境省さんでしたら、例えば保護区を拡大するときに、どこに保護区を作ったらいいのかを考えるにあたって、保全上重要な地域をマッピングして示したり。そういう行政機関との連携がありますね。
もうひとつは企業さんのほうです。生物多様性や自然環境に一番インパクトを与えてきたのはビジネスセクターで、ただ、最近ではネイチャー・ポジティブということが言われてもいますし、ビジネスセクターの方もこれじゃいけないというのはわかっている。
どうしたらいいんだろうと企業さんが考えられていたところに、3、4年ぐらい前からですかね、我々のノウハウを使ってもらえるかなということで、いろんな企業さんにセールスをしてきたんですね。
狙い撃ち的に押しかけて行って、「こんなことをやっているんですけれども、何か一緒にできませんか」と話をさせていただいて。「じゃあ一緒にやりましょうか」と言ってくださった企業さんがいくつかあって、最近ようやくそれが少し日の目を見つつあるかなという状況ですね。
事業における生物多様性の回復効果を数値化
――そのなかで、積水ハウスさんの「5本の樹」計画での連携についておうかがいしてよろしいですか。
久保田さん:はい。そもそも積水ハウスさんとどんなきっかけで知り合ったかというと、私たちとコラボレーションをしている企業がいくつかあって、ある企業の方が「積水ハウスさんが興味あるみたいですよ」とのことで紹介してくださったんです。
それで、積水ハウスさんの大阪本社まで出かけて行って、我々がやっている生物多様性のビッグデータの話と、日本の生物多様性はこういうふうに地図にすることができますよ、というようなお話をしたんですね。
そうしたら、積水ハウスさんは、日本全国のお客さんの家の庭に在来種を植えることで鳥や蝶を再生させる、生物多様性を再生させるというコンセプトで、今まで「5本の樹」計画という事業をやってきたと。それの効果を数値化できたらいいんですけれどね、ということだったんです。
「できますよ」ということで、それが3年前ですね。いろいろお話しさせていただくところから始まって、「こういうふうに分析をしたら、『庭木を植えたことで生物多様性がこれだけ再生できます』ということを数値的に評価できます」というようなことをお見せしていって。積水ハウスさんも問題意識を持って取り組んでおられたので、非常に好意的に理解してくれました。
――「5本の樹」計画の担当者の方が熱心だったんですか。
久保田さん:そうですね、里山みたいな、生物多様性を庭地に再現したいとか、土地開発をするときも日本の原風景的な自然環境を再生したいと考えておられる方で。だからこそ、「5本の樹」の事業を20年ぐらい前からスタートされていたと思うんですけれども。
2019年、積水ハウスは久保田さんと協働して庭への1709万本の植樹による生物多様性保全効果の実効性を評価。地域の在来種の樹種数が平均5種から50種の10倍に、鳥の種類は平均9種類から18種類の2倍に、蝶の種類は1.3種類から6.9種類の5倍になっていることがわかった。
保全活動を財務価値化し、企業が連携して自然環境を良くしていく
久保田さん:CSR活動としての緑化活動でも、数値化をちゃんとすると、財務価値化ができます。
例えば、「これだけのコストをかけて緑化事業をやると、これだけの生物多様性の再生効果がある」ということが明確に数値として出てきます。つまり、社会的インパクトとして価値換算をすることができるんです。
そうすると、事業や財務に直結する活動として評価してもらえるようになる。そういう点で、我々のノウハウや実効性の評価が役に立ったのかなと考えていますね。
社会貢献という観点で、生物多様性に関する活動をしておられる日本の企業は少なくないんです。が、せっかく活動したことを数値的に見える化できていないのがもったいないんです。
企業がコストをかけて生物多様性を保全再生した効果を、数値的に定量すれば、評価の次元が異なってきます。
企業がいい意味で競い合って、あるいは連携して、日本の自然環境を良くしていけるでしょうし、それ自体が日本の企業価値を高めることになると思うんです。
2022年4月現在、株式会社Think Natureは住宅メーカー以外の企業とも協働しており、近いうちに成果を発表できる予定とのこと。
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